歴史多く残る会津若松城…
会津若松城、別称「鶴ヶ城(つるがじょう)」を統治していた会津藩といえば新選組(しんせんぐみ)や白虎隊(びゃっこたい)が旧幕府軍として新政府軍と対陣して各地で激戦を繰り広げたことが有名です。そんな中でも激戦となり150年経った今でも語り継がれている「戊辰戦争(ぼしんせんそう)」についてお話します。
戊辰戦争(ぼしんせんそう)とは
戊辰戦争とは、薩摩(さつま)・長州(ちょうしゅう)・土佐(とさ)を中心とした新政府軍(西軍)と徳川率いる旧幕府軍(東軍)との戦いの総称です。
1868年1月の鳥羽伏見(とばふしみ)の戦いののち、維新政府は徳川慶喜(とくがわよしのぶ)、会津藩主松平容保(まつだいらかたもり)、桑名藩主松平定敬(さだあき)らを朝敵として追討令を下しました。
松平容保は京都守護職として反幕府派志士の弾圧にあたった経歴から政府軍の攻撃を受けることは避けられないとみて、抗戦を決意。
会津に帰藩し、庄内(しょうない)藩と同盟して抗戦の準備を進め、同年5月には奥羽越列藩同盟(おううえつれっぱんどうめい)が結成されました。
政府軍の東北進攻は5月以降活発となり、戦局はしだいに列藩同盟軍に不利となりました。
8月から9月にかけて米沢(よねざわ)、仙台が政府軍に降伏、列藩同盟は解体して、抗戦最大の拠点は会津若松となりました。
8月23日板垣退助(いたがきたいすけ)が指揮する政府軍は若松城下に進撃し、1ヵ月にわたる激戦ののち会津は落城、容保は降伏しました。
白虎隊の悲劇はこのときに起こっています。
これによって戊辰戦争はほぼ終了し、東北は新政府の支配下に入り、時代は近代日本へ本格的に移り変わっていくことになります。
この「戊辰戦争」で最も有名なのが”新選組“と”白虎隊“です。
誰でも一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか?
■ 新撰組
新選組は、江戸時代末期(幕末)に、京都において反幕府勢力を取り締まる警察活動に従事したのち、旧幕府軍の一員として戊辰戦争を戦った武装組織です。
新選組は、鳥羽・伏見の戦いに始まる戊辰戦争に参戦するも、無念の敗北を繰り返しました。甲州勝沼(こうしゅうかつぬま)戦争を経て、近藤勇(こんどういさみ)が西軍へ投降してもなお抵抗し、戦争の舞台は宇都宮、さらには会津へと移ります。
会津においては、負傷した土方歳三(ひじかたとしぞう)に代わり、斎藤一(さいとうはじめ)が隊長を務めることとなりました。
白河方面へ出陣し、白河関門の守備にあたりました。
慶応4年(1868年)猪苗代母成峠(いなわしろぼなりとうげ)において、会津藩士や新選組隊士を含む800名と西軍3,000名とが交戦しました。旧幕府軍の敗色が濃くなっていく中、土方歳三は援軍を求めて、単身仙台へ向かいます。
会津に残ることを主張した山口次郎、斎藤一ら一部の隊士は、如来堂(にょらいどう)において西軍に急襲され全滅したといわれています。
翌年、土方歳三の函館での戦死をもって、史上最強にして最高の剣客集団「新選組」は武士の時代とともに終わりを迎えました。
■ 白虎隊
白虎隊は、戊辰戦争(会津戦争)に際して会津藩が組織した16歳から17歳の武家の男子によって構成された部隊です。
慶応4年(1868年)朱雀隊を主力として第1線に配置し、それに続く青龍隊に国境を守らせ、玄武隊、白虎隊、幼少隊はその予備に回るという布陣でした。
その為、白虎隊は実際の戦闘に出る予定はなく、主に城中を警戒して守っていました。
しかし、戊辰戦争が始まり戦場が会津に移ることで、藩主松平容保は、白虎隊に出陣命令を下したのです。
同年8月23日、命を受けて出撃した白虎隊士20名は戦闘の末、たどり着いた飯盛山(いいもりやま)で鶴ヶ城付近から上がる煙を見て陥落したと勘違いし、鶴ヶ城の方角を向き切腹しました。
飯盛山には19名の隊士のお墓があります。
あれから150年…
新選組、白虎隊だけに限らず悲劇を生んだ「戊辰戦争」。
平成30年(2018年)は、戊辰戦争の局面のひとつ会津戦争終結の150周年でもあります。
歴史を刻む会津若松城では、戊辰150周年を起点とした明治・大正・昭和・平成における、会津の歴史的意義の再認識を図る重要な機会と捉え、様々な記念イベントが開催されています。
鶴ヶ城鉄門内にVR(バーチャルリアリティ)体感シアターが登場しています。
あたかもそこにいるかの様な感覚を体験できるVR技術を用いたシアターです。
「幕末の鶴ヶ城の中を巡る」「城下町を巡る」「鷹になった気分で空から城下を巡る」の3つストーリーを選択して、会津藩にゆかりの深い、“新選組・土方歳三”と“白虎隊・篠田儀三郎”が観客の皆様をCG再現された幕末の会津を案内します。
歴史を感じながら、リアルとスリルを体験してみてはいかがでしょうか?
開催期間:平成29年4月1日(土)~平成31年3月31日(日)
さいごに…
会津の悲劇を生んだ「戊辰戦争」。
それは今でも日本中に知れ渡っています。
歴史を胸に刻み、鶴ヶ城へ足を運ぶと、より一層当時の想いを感じることができるでしょう。
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