白虎隊(びゃっこたい)自刃(じじん)の地
会津若松「飯盛山(いいもりやま)」を巡る
福島県・会津若松駅から車で15分のところに「飯盛山」という山があります。
盛られた飯のような形から名づけられた小さな山です。
幕末の戊辰戦争(ぼしんせんそう)(1868年‐1869年)で会津藩(旧幕府軍)の元で活躍し、新政府軍と戦った白虎隊が自刃した場所として有名です。
飯盛山の山頂へは、ほぼ直線の石段を登っていくことになります。
その数全部で183段。
距離はそこまでないので10分もあれば山頂までたどり着けます。
お年寄りや小さいお子さんを連れている方は、階段右側にあるスロープコンベアで山頂まで行くこともできます。
門前町には土産物屋が立ち並び、串カツやあわまんじゅうといったグルメも味わうことができます。
名物のそばソフトクリーム。
見た目が白いのとは裏腹に、そばの味がしっかりしていて甘くとても絶品です。
不思議な二重構造のらせん階段
「さざえ堂」
登ったらまず目に飛び込んでくるのが「さざえ堂」です。
寛政8年(1796年)福島県会津若松市の飯盛山に建立された、高さ16.5m、六角三層のお堂です。
世界にも珍しい木造様式をじっくり眺められるので、一度は見たい観光スポットです。
平成7年(1995年)国の重要文化財に指定されました。
正式名称は「円通三匝堂(えんつうさんそうどう)」といいますが、構造や外観がサザエに似ていることから通称で「さざえ堂」とも呼ばれるようになったそうです。
中に入ると、らせん状のスロープで出来ていて、上りと下りのスロープがまったく別の通路になっています。
このような木造の二重らせん構造は珍しく、世界的にみてもここだけなのです。
不思議な構造になっており、非常に好奇心を掻き立てられるスポットです
明治初期までは中に入り登っていくと西国礼所の三十三観音像が祀られており、お堂を一巡するだけで巡礼を終えることができたといわれています。
幕末の悲劇を生んだ「白虎隊」の史跡を巡る
戊辰戦争で様々な悲劇を生んだ会津藩ですが、中でも特に有名な悲劇が「白虎隊士の自刃」です。
まだ若い未来ある少年たちは「白虎隊」として出陣し、飯盛山の地で自刃しました。
「飯盛山」では、その白虎隊にまつわる様々な史跡・資料館などがあります。
■ 白虎隊士の墓
飯盛山の山頂に登ると戊辰戦争で悲劇を生んだ白虎隊19名の墓があります。
今でも線香を手向けに来る人があとを絶ちません。
併設の観光案内所にはボランティアガイドが待機していますので、ガイドを頼んでみるのも良いかもしれませんね。
■ 飯沼貞吉(いいぬまさだきち)の墓
飯盛山で自刃した白虎隊20名の中、ただ一人生き残った人物がいたのをご存知でしょうか?
その人物が「飯沼貞吉」でした。
貞吉は、生き残ってしまった自分を責めて、この会津の地から離れ二度と会津に戻ることはありませんでしたが、戊辰戦争・白虎隊の自刃に至るまでの詳細を貞吉が語ったことで、飯盛山で自刃された白虎隊の物語が世に知られることとなったのです。
■ 白虎隊士自刃の地
白虎隊士の墓から階段を下りていくと「白虎隊自刃の地」に出ます。
ここからは会津若松の市街地が一望できます。
ここで会津藩をはじめとする旧幕府軍の勝ち目がないと判断し、「白虎隊」は鶴ヶ城の見えるこの場所で自刃しました。
今でも石造の立っているこの場所から、はっきりと鶴ヶ城を目視することができます。
■ 白虎隊記念館
飯盛山に来たら、ぜひ訪れたいのが「白虎隊記念館」です。
入り口には白虎隊士の銅像があります。
ここでは白虎隊にまつわる様々な資料が展示されています。
■ 旧滝沢本陣(きゅうたきざわほんじん)
飯盛山近くにある「旧滝沢本陣」は、戊辰戦争の際に「本陣」として使われた場所です。
建物のあちらこちらには当時の刀傷や銃弾の痕なども残っています。
当時の建物がそのまま残っており、国の重要文化財に指定されています。
飯盛山
【所在地】〒965-0003 福島県会津若松市一箕町八幡弁天下
【電話番号】0242-39-1251
【営業時間】問い合わせ
【HP】http://iimoriyama.jp/iimori.html
さいごに…
様々な歴史があり、幕末を感じる史跡や町並みが沢山残っている会津若松市。
その中でも「飯盛山」は重要文化財があり、ぜひ訪れたい場所です。
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